「伶楽舎雅楽コンサートno.38」聴きどころ「貴徳と王昭君のこと」
王昭君といえば前漢の元帝(在位BC48~33)に使えた宮女でしたが、匈奴(北方の騎馬民族)の王である呼韓邪單于が、竟寧元年(紀元前33年)に漢に入朝した際に漢の婿となることを望んだため、呼韓邪單于の妻となり、遠い異国に送られことが知られています。
日本でも「今昔物語集」に取り上げられるなど、王昭君の物語が良く知られていたようで、雅楽にも「王昭君」と名付けられた曲が伝えられています。
さて、匈奴といえば雅楽の世界で思い出す曲がもう1曲あります。
こちらは前漢の宣帝(元帝の父)の神爵年中(紀元前61-58年)に、匈奴の日逐王が漢に投降して、帰徳候に封じられたという故事に基づいて作られた曲と伝えられています。
実は、日逐王が帰徳侯に封じられてから10年程後の紀元前51年に、呼韓邪單于は始めて漢に入朝しています。そしてその18年後の2回目の入朝の時に王昭君を妻としました。
彼らの時代から千年後、平安時代の貴族たちが演奏を楽しんでいた「貴徳」「王昭君」を、それからまた千年後を生きる私たちが演奏するのです。
そして、この2000年前の物語に、芝祐靖が歌と曲をつけた「呼韓邪單于」を再演し、伊佐治直作曲「明妃曲」を初演する。
なんともスケールの大きな歴史と、日本と中国大陸にかけての広大な地域をつなぐ、関係の深さを感じずにはいられません。